今回は天道是非(てんどうぜひ)です。
「史記」の著者、司馬遷(しばせん)の言葉で、天の道は、果たして正しいものなのか、という嘆き、問いかけの言葉です。
天は正しいものの味方、のようにいうが、果たしてそうなのだろうか?ということです。
現実問題、天が何かをしてくれるわけはありませんよね、実際には力のあるものが勝ち、心のキレイさによって救われるなどというのは見たことはありません。疑う以前に期待する方がおかしいですね。
身もフタもないな。
ただ、自らに恥じない生き方というのは、別の意味で重要だと思います。
それは、自らのプライド、自信になり、強さになります。
しかし、それが権力に勝ったり、素晴らしい人生を保障するはずがありません。
天に何かがあるわけじゃないですからね。
まあ、そうだけどさ。
ただ、悩み苦しむ位なら祈る方が身体に良いので、天に祈るのは全くムダではありません、負担が小さく寿命も伸びるとも言われています。
そんな言い方じゃ、祈りたくなくなっちゃうよ。
そしてこの「天道是非(てんどうぜひ)」という言葉は、史記にある言葉ですが、中国では「天道是邪非邪」と調べた方がすぐに見つかります。
天道、是か非か、ってことです。
じゃあ、「天道是非(てんどうぜひ)」って四字熟語は中国では一般的じゃないんだ。
そうですね。
出典は「史記」でした。