今回は尊王攘夷(そんのうじょうい)です。
中国の春秋時代の言葉で、夷狄(いてき)から、周王を守る、と言う、「斉」の国の桓公(かんこう)、管仲(かんちゅう)が掲げた思想です。
具体的には、弱った周王朝を、夷狄(いてき)である「楚」の国から守る、と言う方針です。
「楚」は他の国々とは違うの?
その時点では、南方の野蛮な国のイメージがあったんです。後に始皇帝の「秦」が台頭した時には、仲間扱いとも言えましたが、この時点では、恐ろしい夷狄(いてき)、要するに外敵と言う感じです。
この時点では、みんなで力を合わせて、安定を守ろうとしたことで大きな支持を得まして「斉」は「覇者」として認められました。
「斉」はみんなに認められて「楚」に対抗するほど強ければ、天下を取ろうとしなかったの?
そういう、とにかく天下を取っちゃおう、って時代じゃなかったんです。
天下を取らなくても「覇者」で十分なのか。
しかし「尊王攘夷」の考え方は、春秋時代の後半には薄れていきました。やはり、自らを守ることが重要ですからね。そして春秋時代から戦国時代になっていくわけです。
後に天下統一を果たす「秦」の台頭だね。やっぱり、人のため、とばかりは言ってられなくなるのかね、世知辛くなっていくのは世の常だね。
日本の幕末にも「尊王攘夷」ってあるよね。
外国をやっつけて、天皇を敬う、思想ですね。別に幕府に従っていても「尊王」は可能ですが、幕府に敵対する思想のスローガンになっていったと言えるでしょう。
そのせいで良く判らなくなるんだよな。
出典は「春秋公羊伝(しゅんじゅうくようでん)」で桓公救中国、而攘夷狄、卒帖荊、以此為王者之事也。とあります。
え!それで尊王攘夷なの?
そうです、「攘夷狄」は夷狄を攘(はら)う、とありますね、王者のために夷狄を攘(はら)う、から、尊王攘夷です。そのため「春秋公羊伝(しゅんじゅうくようでん)」が、多くの中国の資料では尊王攘夷の出典となります。
「春秋左氏伝」とか「春秋公羊伝」ってさ「春秋」の注釈書でしょ?
そうです。
じゃあ、出典は「春秋」じゃないの?
そう言いたい所ですが「春秋」は残ってないんです。
なるほど!
出典って難しいね。
それだけに面白い分野とも言えます。
「尊王攘夷」に限ると出典は?
皮錫瑞(ひしゃくずい)の「経学歴史」です。
出典は「春秋公羊伝(しゅんじゅうくようでん)」でした。