
今回は特別企画「周易 象伝」です。哲学としての「易経」のお話です。カテゴリーは「周易 象伝」になります。
今回は「山風蠱 四爻 象伝」です。

「四爻」は「裕父之蠱 往見吝」ちちのこをゆたかにす ゆけばりんをみる。
象伝では「象曰 裕父之蠱 往未得也」しょういわく ちちのこをゆたかにす ゆかんとしていまだえざるなし。
卦辞では行けば吝をりる、象伝では、未だ得ざるなり、なんだね。
「父」は「自分の無意識が本当にやりたいこと」でもあります、その妖精的な比喩的な意味での「蟲」です。
え。「蟲」は面倒ごとや困ることじゃないの?
だって、願望が高くなるほど困りごとは多いでしょ。
「蟲」ってそういうことなのか。
「虫」は手と別に翅(はね)があります、鳥の翼は手が進化、変化したものです、要するに「虫」は「天使」のイメージに近いのです。
「蟲」は「単なる困りごと」も含むけど「無意識的願望」の比喩でもあるのか。
単なる迷惑ごとも、自分を変えるための出来事と考えれば同じことです。
なるほど、じゃあ「山風蠱 四爻」では、自分の願望が新しい段階に入って裕になった、増えた、とも言えるんだ。
それを「焦るな」と言っているんですね。
理想を高めて、そこに合わせて自分を高めてこそ見える目標や世界があります、逃げ回っていては何も起こりませんし、不安や不満が解消される日は来ません。
「山風蠱 四爻」は「陰位」に「陰」で「五爻」に比してもいませんし「初爻」に応じてもいません。とにかく謙虚に頑張るべき時なのが分かります。
もちろん、めんどくさいことを妙にいじって「めんどくさいことがかえって増える」と言うことも意味しています、まあ、無意識的には同じことです。
意識的には大違いだよ、でも、だから、焦らずしっかりやれってことか。
なんか、焦らずしっかりやれ、ばっかりじゃない?
そりゃ、そうですよ、人の悩みはそればっかりですから。
…納得。





