今回は特別企画「易経 十二消長卦」です。哲学としての「易経」のお話です。カテゴリーは「易経 十二消長卦」になります。
今回は「年界 易経 十二消長卦」です。
「十二消長卦」は、何月と対応してる、っていうけど。時代とかで変わるのは不便だね。いつが最初なんだろう?ってなっちゃう。
まあ、カレンダー、暦、的なものは仕方ないですよね、「年界(年界)」も「冬至」だったり「立春」だったり、「一月一日」だったりしますからね。
「年界」?
年の境目ですね。「冬至」だったら大体毎年12月22日前後です。昼が一番短く、夜が一番長い日になります。
そうか、まためんどくさいな。
「立春」だと、「節分」の次の日です。太陽の黄経が315度に達する日に始まります。だいたい2月4日ごろですね。
年の初めも国ごとに違ったり、するから「この卦が正月」って簡単に言えないところもあるのか。「年界」なんて言い方があるんだね。
同じ国でも時代で変わったりしますし。サマータイムとかもあったりしますから、イベントを見る時に干支で考えるか、二十四節気で考えるか、などでズレも起こるんですよね。
こういうのを占いで考える時には不便もあるね。
でも、場所や時代で細かい日付や時間は変わっても、その意味するところ、本質を考えることが大切です。
そうか、「二十四節気」と「月」って考え方を同時に持ち込むとズレが起こるんだね。そうなると「年界」の「卦」も変わるんだ。
こういうのは人間の作ったシステムにはありがちですよね。細かいことを言えば「時間」だって人それぞれ違いますから。
え、どういうこと?
相対性理論では、時間は動く速度によって流れ方は違うわけですよ、早く動けば時間の流れは遅くなるんで。
え、一緒でしょ?
光の速度ほどにならない限り一生でもほとんどズレませんけど、厳密にはズレています、地球は回っているので間違いなく高層ビルの一階と屋上では屋上の人の方が時の流れは遅いです。
地球の中心から遠いからか。
要するに、人間の気持ちのほとんどは雰囲気とか過去の記憶の積み重ねの解釈によるもので、ある時きっかり「0」から「1」に変わるものではない、ということです。
占いで使う時は本質を考えて、どう考えると適切か、ということはよく考えたいですね。
それは即ち、視点が違えば違ってくるものもある、から単に「正しい」「間違っている」という単純なものではない、ということです。
なるほど、占いの対応を考えるのは難しいことで、単純に一対一対応じゃないんだね。
そういうことです。「十二消長卦」などはこの辺の問題が起こりやすいので研究するには注意が必要です。ですから一覧表などによって違いや違和感がある時はこういうことも考えてみましょう。