今回は悪木盗泉(あくぼくとうせん)です。
どんな時でも、悪いことはしない、悪いものには近づかない、怪しまれることはしない、と言うことです。
まあ、そうありたいですな。それにしても、「悪木」?「盗泉」?
「悪木」は、トゲや臭いにおいのする、困った木、「盗泉」は、そういう名前の泉、と言うことですが本当にあるのかは怪しいです。
で、その「悪木」「盗泉」がどうしたって言うの?
疲れていても「悪木」で休まず、「盗泉」という汚らわしい名前の水を飲むことはしない、と言うことです。
「悪木」は、休みたくても休みにくいじゃん、「盗泉」って、名前だけでそんな贅沢を旅先で言うなんて、水分不足は、命に関わるよ。熱中症や熱疲労で死ぬよ。おぼっちゃんだな。
まあ、サバイバル的にはそうですが、悪いことはしないのは、もちろん、近づいてもだめだ、と言うことが言いたいだけなんです、悪気はないんです。悪に近づかない志を言った言葉なんです。
こんな極端なことを言うのは、孔子だな。と思ったら、出典は「猛虎行」と言う詩なのね。
いや、これは結局、孔子の話で、盗泉の方のエピソードは孔子だそうです。
猛虎行と言う詩の一部から「悪木盗泉」はでているそうです。
孔子は人には厳しいな、その点、ちょっと親しみわくけどね。人には、塩分や脂肪分が多いと注意しておいて、自分は夜に菓子パンを食べる、にわとりさんとしては。
人のは良くないこと、自分のはパンクな生き様な気がするのよ。
出典は陸機の詩「猛虎行」でした。