今回は拈華微笑(ねんげみしょう)です。
仏教、禅の言葉で、以心伝心(いしんでんしん)のような言葉にしては真意は伝わらないことを伝承できた時を言います。
は?
釈迦(しゃか)が、説法の時に、ただ一輪の花を弟子たちに見せた、みんなは何が起こったか判らずに黙っていたが一人の弟子だけがそれを見て微笑んだのです。
何が面白かったの?
面白かったのではなく、釈迦(しゃか)の教えが伝わったのです。
いつ?
ですから、花を見て。
何で?
それを言葉にしちゃ教えられないのです。
だから禅はよく判らないんだよなぁ。
実際、言葉の限界はありますよ。かえるさんも占いを教えていてもあることです。
拈華(ねんげ)って何?
拈(ひね)る、は指先でつまんで回転させることです。
あー、花を指でくるくるしてたのね。微笑(みしょう)はちょっと笑ってるのか。
で、何を教えたの?
もちろん禅ですから書いてません。しかし、例えば一輪の摘まれてしまった花も、重要そうに見せられると、みなどういう意味だろうと考え始める。
そして勝手にあれこれ考えすぎて苦しんだり悩んだりしてしまうものだ、なんとバカバカしいことだろう。なんて意味かもしれませんね。
あー、だからみんなが困っているのを見て、それを理解した弟子が笑ったのか。確かに口で言っても伝わらないか。気付いた人にしか意味が無いかも。聞いちゃったら、ふーんなるほど、で終わっちゃう。
え、そう言うことなの?
今、思いつきで言っただけですよ。例えばです。禅だからいくらでも考え続けられますよね、それも修行ですから。