今回は日常茶飯(にちじょうさはん)です。
いつものこと、ありふれたこと。日常茶飯事、茶飯事、という使い方もします。
お茶や、ご飯のように、ごく当たり前のこと、ってことだよね。昔は、食べ物に困ることも多い気もするんだけど。
日常茶飯と同じ意味で、家常茶飯(かじょうさはん)と言う言葉がありまして、これは禅の道元(どうげん)の本に出ております。
お坊さんは、今も昔もお金持ちなのか。
内容は、耳で説法を聞くのは、家常の茶飯(この場合、どこにでも、いくらでもいる、ということ)眼で説法を聞くことは出来る人と出来ない人がいる、と書いてあるそうです。
耳で聞くでしょ、普通は。
耳で聞いて、ハイハイ判りました、ではなく、現実のヒトの営みの中からも、説法の意味を感じ取り、吸収することは、誰にでも出来ることではない。と言いたかったんですね。
あーなるほど、お金持ち自慢じゃないのか。とにかく日常茶飯、家常茶飯は、どこにでもある、って意味だ。
出典はわかりません。