今回は格物致知(かくぶつちち)です。
この言葉は定説がありませんので、使うことはオススメできません。
えー!!
出典は「大学」なのですが、解説がありませんので現代まで解釈が色々あります。
「大学」は儒学の本か、四書五経の四書だね、中国や韓国の科挙の試験に使われた本だね。孔子っぽい人たちが読む本だ。
格物致知(かくぶつちち)については有力な説が2つあります、
北宋の程頤(ていい)が窮理(きゅうり)を格物と結びつけ、自らの知を発揮するには、正しいものごとに対する知識が必要だと考えました。
きゅうり?
物事や法則などを学び極めることです。理科と言う言葉の理は、窮理から来ています。
ここから、南宋の朱熹(しゅき)は、聖人になるためには格物致知とは知識を極めることが必要だと考えました。
後の明の時代の王陽明(おうようめい)は、格を、ただす、の意味と考え、格物とは、自らの心の誤りをただし、致知は、本来持っている良い心を発揮すること、としています。
正しい知識を身に付けることで聖人になる。又は、自らの心の良く無い部分をただし、善の心を発揮する、と言う意味か。全然違うな。
最初は、解説が無い、そして、南宋の時代に有名な人が解説をして、300年位して、明の時代に、また有名な人が新たな解説をした、ってことか。
なんか、儒学の本って、孔子が大昔に書いてそれを守るだけじゃないんだね。
そうです、学問ですから、時代によって変わっていきます。もちろん学問としてもそうですし、官僚の政治的な意図があることもあります、どっちを支持するかで派閥が分かれたりもあります。
いろいろ難しいんだね。政治も関わるんだ。
今でも大先生の学説をくつがえすのは難しいでしょ。
なるほどね。
出典は「大学」でした。