
今回は特別企画「周易 象伝」です。哲学としての「易経」のお話です。カテゴリーは「周易 象伝」になります。
今回は「澤天夬 五爻 象伝」です。

「五爻」は「莧陸夬夬 中行无咎」けんりくかいかい ちゅうこうとがなし。
象伝では「象曰 中行无咎 中未光也」しょういわく ちゅうこうなればとがなしとは ちゅういまだおおいならざるなり。
「莧陸」には「やまごぼう」という説と「スベリヒユ」という説があります、どちらも勝手に生えてくる植物です。「やまごぼう」は有毒で食べられません、単に雑草的な意味でとれば、邪魔なものを排除すること、バランスをとること、となります。
しかし、「やまごぼう」は有毒で死亡することもありますので「生まれ変わる」意味も含みます。
「スベリヒユ」は「アマランサス」とも呼ばれ、食用、観賞用などの用途があります、「人々の冬の友」などともいわれます。
なるほど。
さらにいうと「すべりひゆの汁」 「חַלָּמוּת」は聖書にも出てきます。
意味としては味気ない、中身がない、貧者の食べ物。語源は「夢(無意識)」ねばねばした液体=無意識の象徴でもあります。
これは「易の澤天夬 五爻の莧陸」の、ちぎっても生えてくる、ねばねばしている、生命力が強い陰(無意識)の象徴、感情的に排除すると逆効果、中道を歩むと咎なし、というイメージと一致していると言えます。
やっぱり象徴って時代も場所も越えて一致しているんだね。
易や聖書は本質をしっかり掴んでいるので一致しやすいともいえます。
これらのイメージを知っていることで易の鑑定にも幅を持たせることができます。占いはとにかく本質をつかむことが大切ですが、人生の状況認識も全く同じです。
要するに「莧陸」の雑草がはびこるイメージを、妄想や夢、憧れのようなものと捉え、それが溢れ出て来るようなイメージがあるわけです。
それを無意識的な形のないもの、もしかしたら全く無駄かもしれないかもしれないものとして表現しているとも言えるんだ。
だから中を行かないといけません、慌てて進めば大事な憧れも単なる妄想という結果になってしまうこともあります。
全てが大事なものではないでしょう、しかし、大事なものもあるはずです、その段階にたどり着いた意味で、このような不明瞭な「五爻」になっているわけです。
そうか、「五爻」っぽくないよね。
そして「互卦」を見ても「澤天夬」の「二・三・四爻」を下互卦、「三・四・五爻」を上互卦とし、合成すれば「互卦」が出ます。「澤天夬」の「互卦」は「乾為天」です。
「澤天夬」の内部骨格には「乾為天」の自分の直感を信じる意味で周囲に流されないよう我が道を行くイメージがあるんだね。

下互卦

上互卦

「澤天夬」の中には「乾為天」が入っているわけです。これも踏まえて「莧陸」を考えることは非常に有益です。
