今回は特別企画「中国文学哲学としての易経三百八十四爻」です。占いではない哲学としての「易経」のお話です。カテゴリーは「易経三百八十四爻」になります。
今回は「澤水困(たくすいこん)」初爻です。
卦辞は「亨 貞 大人吉无咎 有言不信」とおる てい たいじんはきちとがなし ことあるもしんぜられず。とおる、とは言っていますが、上手く行く、というイメージではありません、大人は吉で咎无というのは、地風升の次のこの卦では、焦って升ることに執着する小人は苦しみ続け、足るを知る者は吉で咎无ということです。
勝手に進もうとして困るのか。
ずっと右肩上がりだった所に現状維持が続くと人は苦しむものです、しかし、安定性の中から生まれる新たな方向を待つのが吉であるということです。
「初爻」の爻辞は「臀困于株木 入于幽谷 三歲不覿」いさらいしゅぼくにくるしむ ゆうこくにはいる さんさいみず、です。
どういう感じなの?
切り株に座ろうとしてもおしりが痛くて落ち着いて座れない、見通しも悪く三年何も見えない、ということです。
三年も!
まあ、長い間、という感じですね。この見通しも悪く、道筋も長い間見当たらない、というイメージから苦しんでこそ成長するイメージです、「困」という字は成長を意味する「木」が囲われていることを意味しています。
なるほど。辛そうだけど。
「初爻」は「陽位」に「陰」で位、不正です。力が弱い、どうしてよいか分からないイメージです。
しかし、「上卦」の「四爻」には応じています。「四爻」も辛いイメージもありますが、長い苦しみにも終わりがあるイメージです。「澤水困」は、簡単に逃げ出したり諦めないことで「亨」るイメージなのです。
なるほど、いかにも大変そうだ。
そして「二爻」に比しています、しかし「二爻」も現状の苦しみから脱するために、成長しようとするのですが、短絡的な対処療法ではかえって上手くいかないイメージです。
当分、難しそうだね。
「二爻」は慌てず自分の気持ちに向かい合ってこそ得ることがあるイメージですから、なぜ今自分が苦しんでいるのか、その考え方、自分の在り方が大切なことに気付くことが大切です。
対処療法で頭が一杯だよ。
出典は「易経」でした。