
今回は特別企画「周易 象伝」です。哲学としての「易経」のお話です。カテゴリーは「周易 象伝」になります。
今回は「澤風大過 五爻 象伝」です。

「五爻」は「枯楊生華 老婦得其士夫 无咎无誉」こようにはながしょうず ろうふそのしふをう とがなくほまれなし。
象伝では「象曰 枯楊生華 何可久也 老婦士夫 亦可醜也」しょういわく こようはなをしょうずるは なんぞひさしかるべけんや ろうふしふとは またしゅうとすべきなり。
咎無く、誉無し、だけど、すごく醜いってこと?
咎は無いけど、褒められもしないし、みっともない、と映ることもある、と書いてあります。
「五爻」は応じていませんし、「四爻」にも比していません、しかし、「上爻」に比しています。
「上爻」は「過渉滅頂 凶 咎无」すぎてわたりいただきをめっす きょう とがなし。ですから、大きなことに挑み達することなく生まれ変わる、と言っています。
中途半端な気持ちなら単に引き返し、失敗と感じるでしょう。
「五爻」の「花が咲く」は短いながらも種を残せる、というイメージでもあります。「老婦(無意識的使命、やるべきこと)」が、「士夫(新しい能動性)」を得る、と読めますから、簡単なことではなく、上手く行くと思いにくいことから「醜い」という言い方も出来ます。
なるほど、挑戦は褒められるためにするようなものではなく、自分がやるべきだからやるものなんだ。
それを「花」言い換えれば「散っても構わない」と言っているのです。
なるほど。「澤風大過」の「五爻」にピッタリだね。
しかし、ただ単に、年を取った女が若い男と一緒になった、という意味もあります。
カッコいいことでも無い、ってことなのかな?
よっぽどじゃなければ上手く行かないですからね。





