今回は特別企画「中国文学哲学としての易経三百八十四爻」です。占いではない哲学としての「易経」のお話です。カテゴリーは「易経三百八十四爻」になります。
今回は「火地晋(かちしん)」上爻です。
火地晋の卦辞は「康侯用錫馬藩庶 晝日三接」こうこうもってうまをたまうことはんしょ ちゅうじつみたびせっす。「康侯」は素晴らしい武将で、その「康侯」が天子に馬を賜る、昼に三度も接見して頂ける。ということです。
「康侯」は周易を作った「文王」の九男です。「火地晋」は天子のために頑張る「康侯」のイメージの卦です。周の初期に滅びた殷の人たちの反乱を鎮めた人です。
要するに、火地晋は「上卦」が「離」すなわち太陽で、「下卦」は「坤」すなわち「大地」地道な努力や人を支えるイメージがあります。この「陰」三本の「坤」要するに三度の努力により、そして太陽が出ている昼間に素晴らしい君主、すなわち「天子」に三度接見していただける、そして「天子」すなわち「乾」のような無意識、本心に会える、ということですが、「馬」も「乾」を意味します。
そういうことなんだ、卦辞も難しいな。目標に向かって頑張る感じだね。
上爻は「晉其角 維用伐邑 厲吉无咎 貞吝」そのつのにすすむ これゆうをうつにもちいれば あやうけれどもきちにしてとがなし ただしけれどもりん。
どういう感じなの?
自分の領内の反乱を治めるには武力を使うことは仕方ありません、あやういけれども吉、そして咎もありません。しかし、程度を間違えて行き過ぎれば、ケチがつく、ということです。
ちょうどよくやれってこと?
そういうことですが、実際問題、軍を用いてちょうど良かったね、とはなりませんよ、よい評価はつかないにしても、自国の反乱を放っておくわけにはいきませんし、できる限り小さく収める努力は必要ということですね。
「上爻」は「陰位」に「陽」で位、不正、強い、強すぎになることを諫めています。
ただ、今までも一生懸命やってきましたし、「下卦」の「三爻」とも応じています。から、努力して一生懸命やっているので、吉で咎なし、なのですが、ケチはつく、のであらかじめ気を付けるよう言っているのです。
問題に対して対応が適切であっても済んだら適切かどうか問いだしたらキリないもんね。
まあ、批判されることが分かっていれば、程度を考えるようになる、ということです、後付的でも文句を言うことには意味があるのです。
政治的だね。
そうですね、現実的、周の天子のための行為、と考えれば「五爻」に比していることで、咎なし、大筋は問題ない、とも言えますね。反乱は無視出来ませんからね。(隣の爻と陰陽が違う場合、比している、つながっています。)
ただ、次の卦は「地火明夷」ですから、謂れのない批判を受けるイメージですからね。
そういうことか、なるほどね。
出典は「易経」でした。