今回は眞有大志(しんゆうたいし)です。
真に大志があることです。
主観的だなー。
まあ、そうなんですけどね。
「志(こころざし)」と「大志(たいし)」だって似たようなもんだよね。
「志」は目標を心に決める、「大志」は、その規模の大きいもの、ですね。
達成したことなら比べられるけど、その事前の単なる大風呂敷を「大志」って言われてもねぇ。
この言葉はさらに「真」ですよ。
「志」という言葉をつかい古したら「大志」、「大志」を使い古したら「真の大志」言葉とはそういうものです。
そうなの?
論理や言葉は目に見えませんし、形も無いですから、入れ物である「単語」そのものだけで実体が無いので、概念的哲学的な言葉は仕方ないですね。
まあ、本人が頑張ればそれでいいか。
そうですね、「頑張る」も結局主観ですけどね。
この言葉は「論語」や「言志四録」など様々な所で見かけます。