今回は衆妙之門(しゅうみょうのもん)です。
人々は陰陽、明暗、優劣、善悪、などを違うものとして考えますが、その根本は同じである、同じであるが、それが世に出て来ると、別の名で呼びます。このことを「玄」という。そして「玄のまた玄」その元であるものが出て来るのが「衆妙之門(しゅうみょうのもん)」です。
いや、もう全然判らない。
人々は本質が同じものを違う名で呼びます。
それがもうよく判らないよ。
人間が嬉しい、を作るためには悲しい、が無くてはいけないですよね。
えー、そういう難しい感じの話なんだね。
この「衆妙之門(しゅうみょうのもん)」は四字熟語で、簡単に説明するような言葉じゃないんです。
老子のじいさんは訳分かんないだよな。
「玄の中の玄」それが出て来る場所、それが「衆妙之門(しゅうみょうのもん)」なのです。
そうなのね。
出典は「老子」でした。