今回は妄言妄聴(もうげんもうちょう)です。
いいかげんなことを言うから、いいかげんに聴きなさい、ということ。デタラメな話をデタラメに聞く、と言うようなことです。
メッチャテキトーな言葉だな。
そう言う意味になっちゃった、と言うことで、元はといえばそんな意味ではありません。
「荘子(そうじ)」にある言葉で、貴方のために試しに妄言をいうから、貴方も妄聴しなさい、とあります。
デタラメを言うからデタラメに聴きなさい、と言う意味ではなく、例えば、正しい心、立派な志、などカンタンに言葉に出来ないことも、言葉で伝えようと試みれば、伝わるケースもありますね。
ああ、勘違いや自分の都合の良い考えに捻じ曲げてしまうこともあるね。
だから、言葉を聞いて、判らなければ、意味を考えることが出来る人は、考え続ければ、判るかもしれない、でも考えられない人は聞き流してもけっこうだ、と言うことです。
本当にデタラメなら、最初から言わないよね。
だけど、テキトーに聞け、忘れても良い、と言うことで、その裏側に、意味が有る、ことを感じられる人間には意味が伝わるかもしれない、言いかえれば、言葉の裏を考えない人間には伝わらないことを言っているのです。
伝わるためには、考える聞き手が必要、だから、妄言妄聴(もうげんもうちょう)と言い放つ、と言うことか。
老子とか荘子は難しいんだよな。結局どういう意味で使えば良いの?!
使うときは、いいかげんなことを言うから、いいかげんに聴きなさい、ということ。デタラメな話をデタラメに聞く、と言うようなこと、で良いでしょう。
しかし、実際にはそう言う意味では無かった、と言うことです。
出典は「荘子」でした。