今回は廓然無聖(かくねんむしょう)です。
禅の考え方で、晴れ上がった空のようにさわやかなこだわらない心のことで、人間に聖も凡人も無い、ということです。
なるほど、そうだよね、偉い人とか大事な人とそうじゃない人がいるわけじゃないもんね。
でもお坊さんは、悟った、って言わないと仕事にならないんじゃない?
悟った、とか言ってもお坊さんも普通の人ですからね。多くを望んだらかわいそうですよ。
この言葉は達磨大師のことばです。
「廓然(かくねん)」が晴れ上がった空で「無聖(むしょう)」は聖も凡も無い、と言うことです。
へー。