今回は人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう)です。
「十牛図」は中国の北宋の臨済宗の僧、廓庵(かくあん)の描いた作品で、人が「悟り」に至る過程を「牛」と「人」で描いたものです。臨済宗だから禅のお話です。
「十牛図」の8番目の絵で「牛」と言う悟り、自分の心にこだわらないで「牛」も「自分」も忘れ去った状態です。
悟ったの?
悟った、と言う言葉ほど悟りに遠い状態も無いでしょう。自分を直接見ること、自分を知ること、から、何をしたいのか、何が要らないのか、を知る禅で、何かスーパーパワーを手に入れようとする状態「悟りたい」と言うのは望む状態とは言いがたいですね。
むしろ逃避と言えます。
日常でも、体調は悪いところばかりが気になりますね、体の健康な所を喜び満喫することはあまり無いでしょう。
たしかに。問題が無ければ何も意識しないのか。
その意味では、心が欲に固まる必要も無く、牛も自分も気にする必要の全く無い状態です。
かつて目指していた場所とも言えるでしょう。しかし着いてみればイメージは全く違うでしょう。
欲、って難しいね。
他人の評価ばかりが気になり、自分を省みなくなると自分を見失ってしまいます、その意味で、その枯渇感を何か、みんなが欲しがってそうなもので満たそうとすると、満足しにくいので追いかけ続けなくてはいけなくなるので苦しみます。
そう言う状態は欲に見えるかもしれないですね。
1「尋牛」(じんぎゅう)
2「見跡」(けんせき)
3「見牛」(けんぎゅう)
4「得牛」(とくぎゅう)
5「牧牛」(ぼくぎゅう)
以上はカテゴリー「十牛図」の方に説明がございます。