今回は三獣渡河(さんじゅうとが)です。
仏教の悟りの深さの例えのお話です。
あれ?間違いやすい字のことじゃないの?
それは「三豕渡河(さんしとか)」です。
あ、違うんだ。
仏教の教えのお話で、現実世界と言う河を渡る動物、というイメージでお話をしています。
自分だけが悟りたいから仏の話を聞く、「声聞乗(しょうもんじょう)」は、河の底に足が届かない、浮いてしまう、ウサギに例えています。
なんか悟りを目指してるのに軽くディスられてるね。
目指すだけなら誰でも出来ますからね。
自分で修行することで一人で悟ろうとする「縁覚乗(えんがくじょう)」は河の底に足が届いたり、届かなかったりする、馬に例えています。
大きいからか。仏様の話を聞くより、自分一人の方が深くなるの?
聞くだけじゃなくて自分でしっかり考えないとダメだ、ってことですよ。
そして、自分と他の人のために悟ろうとする「菩薩乗(ぼさつじょう)」は河の底に徹して歩くイメージで、象に例えています。
体重の問題なのね。
判りやすく言っているのです。
底に徹して歩く、と言うことで略して「徹底(てってい)」の語源です。
あ!今日はそれだけ覚えて帰ろう☆彡
やっぱり、人のために悟る方がえらいってことか。
悩みから解放されるには、自分、自分では悩みから解放されませんよ。
「悟る」という言葉自体が難しいし、人それぞれですよ、もう悩みたくない!苦しみたくない!という独善的な考え方では楽にはなりません。
悩みに楽しんで取り組めるようになったり、やりがいを感じられるようになれば楽しく、楽になれる、と言う考え方も一つのヒントになるでしょう。
ふーん。
出典は「優婆塞戒経(うばそくかいきょう)」でした。