今回は枯木寒厳(こぼくかんがん)です。
そっけなく、冷たい人間性を意味します。情の無いことを表します。
元は禅の言葉で、なにものにも動じないことを意味します。
何ものにも動じないのは、いいんじゃないの?
どんな時でも、人情味無く、動じないのは、人として情が無く悟ったとは言えない、と言う考え方もあるのです。
ある、おばあさんが、托鉢のお坊さんを「見所がある」と、20年世話していました。
ほう、20年も。
ある時、そのおばあさんは、若い女性に、そのお坊さんに抱きつくように命じました。
ええ!!お坊さんなのに。
そして、そのお坊さんは、きっぱり断りました。その時の言葉が「枯木倚寒厳 三冬無暖気」です。
自分の心はそんなことじゃ全く動かない、というようなことです。
ふーん、まあ、お坊さんだから断ったんだね。
そうすると、そのおばあさんは、激怒して「なんて情の無い、坊主に無駄な修行をさせていたんだ!!」と、そのお坊さんを追い出してしまいました。
ええ!何で?どうすればよかったの?
やっぱり、おばあさん言いがかりでしょ。
禅の話なんで、答えを勝手に決めてはいけませんが、では考え方としては、その坊さんは、女性を良く見て、考えた末に、突き放したのか?ってことですよ。
といいますと?
例えば、自分への情愛が感じられたのなら、心をむげにせず断ることも出来たはずです、身をゆだねなくても、愛する心のみを受け取ることは出来なかったでしょうか、この坊さんは、それを試みたでしょうか、考えたでしょうか。
そして、情愛ではなく、おばあさんに言われたから来ただけであれば、ただ追い返しては娘がおばあさんに怒られるかもしれません、おばあさんに何ていえばその娘さんが怒られないかを一緒に考えることも出来たかもしれません。坊さんは、どういう事情か聞いてあげることさえしませんでした。
そして言われたから来ただけであっても、一顧だにせず追い返される女性の気持ちを考えたでしょうか。
うーむ、なるほど。
この坊さんは、全く考えずに、自分の修行のことのみを考えた行動を取りました、そんな行動をするだけなら、修行など要りませんね。ただ決まりごとを守ったに過ぎません。
禅は難しいね。アレコレ考えるとキリが無い。
決まりを守ることは大切ですが、決まりを守るだけが目標なのでしょうか、人としてより目指すべき道、行動、優しさ、を他の人に示してこそ、人々は感動し、良い人間とは何かを考える機会になるのです。
禅は一生考え続けるための、道を提供してくれるものとも言えます。だから答えが書いていないのです。
じゃあ、おばあさんは考えた末のことで、言いがかりじゃなかったんだ。
いえ、言いがかりだったかもしれません、しかし、言いがかりからでも、考えるきっかけをつかむのも禅の生き方です。