今回は打成一片(だせいいっぺん)です。
ひとつのことを突き詰めて専念すること、です。
仏教の言葉です、禅の言葉で、座禅に集中して心身が一体となる、という意味です。
一生懸命頑張って、ひとつのことを突き詰めるのは判る、でも、座禅ってどうなの?寝ちゃってもいいの?
夜、座禅するか、って言ってそのまま寝ちゃう感じだとしたらちょっと違いますね。
具体的には何をする感じなの?
何もしないで何も考えない、って感じですよ。
え、難しくない?!
そりゃ、難しいですよ。長時間やるのは難しいです。
え、出来るもんなの?
練習しないと出来ませんよ。
え、してどうすんのよ?
仏教の修行じゃないですけど、似たような行為で、例えば「瞑想」だったら、結構やります。
人はとっさに出てきた自分の気持ちを、自分の本心だと考えてうかつなことを言ったり行動したりしてしまうじゃないですか。
それを、意図的に「気持ちが動かない状態を作る練習」をすることで、気持ちが動いた時に「自分の気持ち」というより「自分の雑念」で動いた、ことなどを具体的に感じられます、要するに客観的に自分の気持ちを感じられます。
そうなのー、別に邪念とか雑念でもいいじゃん。
自分と向き合うためには有効ですよ、座禅も似たような効果があると思います。冷静さが無いと相手のせいにしちゃうでしょ。
さっきの話だと「座禅」は心身が一体で、「瞑想」は心身が分離してない?
どちらも、進んでいけば同じですよ、一体にしてこそ生まれてくるものを受け入れるには、分離させると良いでしょうし、
分離してこそ生まれてくるものを一体にして受け入れることもあるでしょう。
なんかよく判らないな。
禅のお話ですからね。
出典は「碧巌録」でした。「五灯会元」などにも出ています。