今回は不為而成(なさずしてなる)です。
聖人は、行かずして知り、見ずして理解し、為さずして為す、と言う言葉の最後の部分です。為さずにして成す、と言う意味です。
いや、さすがに訳分かんなすぎでしょ。
いくら屁理屈が上手くても「成してない」って言ってるのに「成す」って。
要するに、普通の人は、「他の人が成したなー」って思うことをしようとして不自然なことをしている、だから、わざわざ何の関係もない所に行く必要があるんだ、と言うことです。
あ、そういうことか「成す」の意味が違うんだ。
自分がやるべきことは、人の目なんか気にせずとも自然にやっている「成している」と言うことなのです。
「老子」はムズイなー。
出典は「老子道徳経」世に言う「老子」でした。