今回は生而不有(しょうじふゆう)です。
自分が生み出しても自分のものとしない、ということです。それは万物の源である「道(タオ)」の解説であり、それこそが大いなる「玄徳(げんとく)」大いなる自然の得だということです。
何のために生んだか判らないじゃん。
そういうことを言っていると自分が生んだもの、自分の功績に縛られてしまいますよ。
えー、どういうこと?
自分が何かをしたいのは、自分の能力を使いたいからです、それは大きな成長につながります、それはより自分の能力を生かせる場が広がるということです。
早い話が「みんなに役割があってそれは自然に為される」ということでしょう。
無私の精神を語っていると言えるでしょう。
ちょっとにわとりさんには難しいな。
出典は「老子道徳経」世に言う「老子」でした。