今回は自受法楽(じじゅほうらく)です。
仏教の言葉で他者に教える教え、ではなく「悟り」そのもの、それを自ら求め味わう事、です。
え、ちょっと難しいな。
それでいいです、難しい言葉なんです。「悟り」そのものを体感する、享受するようなイメージです。
普通の人に教える教えは普通の人が判るように教えないといけないので、本質を伝えにくいですからね。
例えばどんな風に?
こうしたら、こんなにお得で嬉しいよ、って言われないとやりたい、学びたい、って思わないでしょ。
確かに、そうか、普通の人が判るようにすることは大切だけど、教えそのものが型崩れしてしまう面があるのか。
自受法楽(じじゅほうらく)は「悟り」そのものを目指すのですが、「目指す」より「味わう」の方が表現が適切かな、とも思います。
うーん、よく判らないけど、なるほど。