
今回は特別企画「周易 象伝」です。哲学としての「易経」のお話です。カテゴリーは「周易 象伝」になります。
今回は「山水蒙 象伝」です。

卦辞は「蒙 亨 匪我求童蒙 童蒙求我 初筮告 再三瀆 瀆則不告 利貞」もうはとおる われよりどうもうにもとむるにあらず どうもうよりわれにもとむ しょぜいにはつぐ さいさんすればけがる けがるればつげず ただしきによろし。
象伝では「象曰 山下出泉 蒙 君子以果行育德」しょういわく やましもにいずみをいだすはもうなり くんしもっておこないをはたし とくをやしなう。
「山水蒙」は卦辞を考えるに「易」という師匠と「人間」という愚かな弟子との会話、教え、言い換えると「意識から無意識への質問と回答」という言い方も出来ます。
ああ、なるほど。実際の師匠と弟子だけじゃないんだ。
もちろん、そういう意味もあります。易は本質を掴み、幅広く柔軟に解釈しないと意味を持ちません。
ですから、簡単に言えば、真理を求めて同じことを何回も占うのは構いませんが、自分にとって都合の良い結果が出るのを求めて何度も占うようなことは、全く意味が無いからやめなさい、と言う卦辞です。
何回も占っても良いんだね。
どうせ同じ答えしか出ません、ただ本質ではなく「良い悪い」「吉凶」の上辺だけ捉えると答えがブレているように見えます。そういう初心者レベルの人が「吉」や「楽」な道だけを求めて安心しようとするのは無意味で成長の無い道ですからね。
「象伝」では「上卦」の「艮(山)」と「下卦」の「坎(水)」を「泉」としています。
いつもは「泉」って言えば「水たまり的」だから「兌」じゃないの?
そうです。しかし「ここで言う泉」は「これから流れ出し川になっていく最初の状態である」ということです。
なるほど、「川」の初期状態なんだ。
そうです、自然に流れ出し、力み過ぎず自然な流れで川になっていく、それによって徳を学び、成長していく、と言うことなのです。
なるほど「山水蒙」にはそういう意味があるんだね。





