今回は特別企画「中国文学哲学としての易経三百八十四爻」です。占いではない哲学としての「易経」のお話です。カテゴリーは「易経三百八十四爻」になります。
今回は「山火賁(さんかひ)」四爻です。
「山火賁」の卦辞は「亨 小利有攸往」とおる すこしくゆくところあるによろし、です。すこしく亨ります、飾る、意味の「賁」と言う文字は、かざる、はしる、つよい、イメージがあります。飾り物、と言う意味と内面の充実も意味します。
四爻は「賁如皤如 白馬翰如 匪寇婚媾」ひじょはじょ はくばかんじょ あだするにあらずこんこうせんとす。
どういう感じなの?
「四爻」は「陰位」に「陰」で位、正しいです。
そして「下卦」の「初爻」にも応じています。
ですから、しっかりした謙虚さと結果を出したいイメージがあります。しかし「四爻」というものは常に不安定さがあります、「上卦」に来たばかりだからです。
そして「三爻」には比していますが、尊位の「五爻」とは比していません。(隣の爻と陰陽が違う場合、比している、つながっています。)
そして、疑いが発生するのです。それが「匪寇婚媾」なのです、後になってみれば婚姻に来たのですが、最初は疑うイメージです。
なるほど、じゃあ、結婚できる感じかな。
まあ、それも疑いが強すぎればそうはならないでしょうけどね、そして「結婚」は象徴的には「結婚」そのものの意味と、「社会的役目」である、自分のやるべきこと、とやりたいことの融合も意味します。
相反するものの融合、と言うイメージもあります。
飾るがごとく、そして「皤」如ですから、白くするイメージです。そして「皤」は老人の白髪のイメージもありますから、無意識で使命に向かうイメージです。そして「腹が膨れる」「太る」イメージがあるので「現実化」のイメージがあります。
へー。
「白馬翰如」は白い馬は、白く美しいイメージと使命に向かうイメージ、直感的に素早く向かうイメージ、そして「馬」には「筆」のイメージもあります。
何で?
馬の尻尾で「筆」を作りますからね、そして「翰」は鳥の「やまどり」、「筆」、のことなどを指しますそして「手紙」「書道」「学問」などを意味します。
馬で移動する、そして筆、だったら手紙ってことか。何か伝えたい感じも感じるね。
そういう風に「象徴」からイメージをつかむことが出来ると占いにそのまま使えます。
出典は「易経」でした。