今回は特別企画「中国文学哲学としての易経三百八十四爻」です。占いではない哲学としての「易経」のお話です。カテゴリーは「易経三百八十四爻」になります。
今回は「水風井(すいふうせい)」二爻です。
卦辞は「改邑不改井 无喪无得 往來井井 汔至 至亦未繘井 羸其瓶 凶」ゆうをあらためせいをあらためず うしなうなくうるなし おうらいせいせいたり ほとんどいたらんとするも まだいまだせいにつりいとせず そのつるべをやぶる きょうなり。
長いね。
村が変わっても井戸は変わらない、井戸がダメになったらその村はそこにいられない、使っても使わなくても水の量は変わらない、ただ、つるべが壊れたり、水に届かなければ凶である、ということです。
この井戸は重要なエネルギー源でもあり、人の無意識の奥底も指しています、上手く行かない時にこの卦が出るのは自分という井戸が枯れている、ダメになっている、という意もあります。
なるほど。
「二爻」の爻辞は「井谷射鮒 甕敝漏」せいこくふにそそぐ つるべやぶれてもれる。です。
どういう感じなの?
井戸の水がほとんどなく、魚が住んでいる、さらに甕が壊れていて水を汲めない、と言っています。
ダメな感じだね。
しかし、「初爻」と違い、問題点に視点が移っています、それは改善を予感させますね。
なるほど。
「二爻」は常に「中」を得ています。極端さに走らないことは冷静さ、であり、バランスが取れるイメージです。
それが問題点に着目するイメージとも言えるのか。
しかし、「二爻」は「五爻」に応じていません。水は汲み上げられないことを言っています。しかし、その原因は甕が割れているのです。
水が枯れ果てているわけじゃないんだ。
そして「三爻」に比せず、「初爻」に比しています。「初爻」は水が濁っていて誰も飲まない、「三爻」は水は飲めるのに誰も飲んでくれない。とりあえず水を飲めるようにすることが大切です。(隣の爻と陰陽が違う場合、比している、つながっています。)
でも、誰も飲んでくれないんでしょ?
飲めるようになる前に「飲めますよ」とは言えないでしょ。
なるほど、確かに。
そして「二爻」は「陰位」に「陽」で位、不正です。気が逸ってしまいます。
甕が壊れてる、って分かってるのに、気が焦っちゃうんだね。
とにかく落ち着くことです。
出典は「易経」でした。