今回は特別企画「中国文学哲学としての易経三百八十四爻」です。占いではない哲学としての「易経」のお話です。カテゴリーは「易経三百八十四爻」になります。
今回は「火山旅(かざんりょ)」五爻です。
卦辞は「小亨 旅貞吉」すこしくとおる たびにはていきち。旅先であり自由が利かない面も多く、不便もあるが「少しはとおる」ということです。
「火山旅」は「雷火豊」の次の卦です、ですから大きな力を持った後は、住む場所を失うものです、それが家を失い災害にあって放浪の旅に出ざるを得ないイメージ、そして「旅」という漢字は「軍事的出征」のイメージが元になっています。
あ、そうなんだ「旅団」とか言ったりするもんね。戦いだとしても出征先では自由が利かないもんね。それと災害の後の避難民のイメージもあるのか。
そういうことです、ですから「災害時」「戦時」のイメージがあるので、賢明で果断な素早い判断が必要なイメージもあります。
「五爻」の爻辞は「射雉 一矢亡 終以譽命」きじをえて いっしうしなう ついにもってよめいあり。です。
どういう感じなの?
「矢」をうしなったけれども、雉を得る、それによって評判が高まり、命を受ける、と言っています。
良かったね。と言いたいけど、少し気になる言い方だね。雉を得て矢を失うって当たり前じゃん。
昔の狩りに使う矢には紐が付いていて、失わないようになっていたのですが、失ってしまったのです。
じゃあ、やっぱり、何かと引き換えに、ってイメージなのか。
そうです、ですから「吉」という言い方はしません、そして次の卦が「巽為風(そんいふう)」であることが関わってきます、「巽為風」は「巽(したがう)う」意味がありますが、これは「人に従う」から「天意」「本心」「無意識」に従う意味があります。
なるほど、火事場から命からがら逃げてきて、やっと職に就いたけど、それで一息つくことで「本当にやるべきこと」が見えてくるんだ。
そういうことです、ですから「火山旅」には「吉」とか「凶」とかが無いのです。
ある意味それどころじゃないんだ。
「五爻」は常に「中」を得ています、バランスが大切ですし、そうしようとしているイメージです。
なるほど、だから、とりあえず得意なことで認められた感じなんだ。
まあ、とりあえず今は形にしようということですね、有難いことです。
ですから、不満だった「四爻」に比していますし「上爻」にも比しています。「上爻」は最初は笑っているが、のちには悲しみだします、それは、最初はそれどころじゃなかったけど、安心してみると不満が表出するものです。(隣の爻と陰陽が違う場合、比している、つながっています。)
なるほどねー、めっちゃ難しいじゃん。
この辺は易者さんでも、深く考えない人もいますよ。
まあ、仕方ないね。
そして「五爻」は「陽位」に「陰」で位、不正です。要するに、とりあえずそれどころじゃないから、ひとまず結果を得るイメージです。
「陰」だからこそ、今は仕方ない、ととりあえず形にするんだね。
そして「二爻」に応じていません。
「二爻」はとりあえず堅実でありながら志もある感じがあります、しかし「五爻」では結果を得たけど、志は形になっていないと言えます。
だから、繋がってないんか、ニュアンスが難しいな。
易はニュアンスがものすごく丁寧な占いです、このニュアンスなしに考えると普通の占いになってしまいますからね。
そうか、「易経」は哲学書でもあるもんね。
かえるさんも「易」の研究を始めることで本業の「西洋占星術」「タロット」の考え方も深まったと思います。
出典は「易経」でした。