今回は特別企画「中国文学哲学としての易経三百八十四爻」です。占いではない哲学としての「易経」のお話です。カテゴリーは「易経三百八十四爻」になります。
今回は「水火既済(すいかきせい)」初爻です。
卦辞は「亨小 利貞 初吉終亂」とおるものしょう ただしきによろし はじめきちにしておわりはみだる。または ちいさきものにさえとおる ただしきによろし はじめきちにしておわりはみだる。です。ちなみに「ちいさきもの」は「小さき者」です。
「ちょっと亨る」と「小さき者にさえ亨る」はずいぶん違うじゃん。
「水火既済」は「既に成った」イメージですから、当初は良いですが、あとは崩壊に備えることが大切になります。ですから、両方知っていて丁度と言えます。
そうか、「成就」は嬉しいことのみを想像するけど、実際に成し遂げてみれば、あれこれ問題が発生するのか。
そうですね、しないように気を配る必要があります。「上卦」が「水」で「下卦」が「火」ですから、何かを温めているようなイメージですが、火力を間違えたり、上の水をこぼせば火は消えてしまいますし、水は蒸発してしまうでしょう。
なるほど。「成就」とは「水火」の不安定さとも言えるんだね。
「水火」を料理と思えば、助け合ってバランスが良いようにも思うし、管理をいい加減にすれば、お互いが滅し合う関係なのです。
なるほど、それが「ちょっと亨る」は、まだまだやることがある側面、「小さき者にさえ亨る」はしっかりやれば、亨る、ってイメージなんだね。そしてそのイメージの違いは時間軸の違いなんだ。
「初爻」の爻辞は「曳其輪 濡其尾 无咎」そのりんをひき そのびをぬらす とがなし。です。
どういう感じなの?
「下卦」は「離」ですから「〇の形」になっています。今回の場合は「車輪」です。
大げさに言うと、こんな感じです。
「離」は「太陽」や「車輪」など丸いもののイメージがあるよね。「的」にも見える。
車輪を曳く、車輪を引っ張るので、進もうとすることを阻むものがあるのか、自ら押しとどめようとするイメージです、そして「尾を濡らす」は何かに挑戦するイメージを易では「大川を渡る」と言いますが、渡ろうとして失敗する、止めておく、などの意味があります、そしてそれを「咎无」と言っているのです。
進めないのに、咎無いんだ。
だってもう完成してるんです、何を慌てる必要がありましょう。用心深さの意味もあります。
なるほど、形があるから崩れることを恐れる、良く調査する、考える、ということか。
もう成っている、ということを念頭に置かないと全く分からないね。
そういうことです、卦辞の出来た後には「小さく亨」のは当たり前とも言えますね。
「初爻」は「陽位」に「陽」で位正しいです、力強く、前に進みたいイメージですが、慌てないイメージです。
そうか、革命家ではなく為政者なんだね。
おお、「水火既済」は全部、位正しくて応じていて、比してるのか。
そうです、そのイメージは「雷山小過」の次の卦であることからも分かるわけです。
「初爻」は「二爻」に比しています。「二爻」は、夫人が車で外出しようとしたけど、覆いを失った、しかし、七日で帰ってくる、と言う爻です。(隣の爻と陰陽が違う場合、比している、つながっています。)
これはヴェールを失う、即ち「全容が分かる」イメージ、も含んでますので、「初爻」の全容が分かるまで慌てるな、のイメージにもつながります。
なるほど、ヴェールを失う、が「全容が分かる」と言うイメージもあるのか。
他には、「問題があっても解決する」と言うイメージもありますが、それも、情報が開示される、と言う意味もありますのである意味同じことです。
落ち着けってことだ。
「四爻」と応じています、「四爻」は一日中警戒を怠るな、と言う爻ですから、車輪を曳くことを推奨してると言えますね。
「水火既済」「初爻」は「既に成った」からこそ、慎重にするべきなんだね。
そういうことです。
出典は「易経」でした。