今回は法爾自然(ほうにじねん)です。
本来の姿そのままであるようにすること、言いかえれば完全に如来に全て任せること。仏教の言葉です。
こういう言葉ってどうなの?何にもしない、って感じで他力本願って感じじゃん。仏教の人は怠け者みたいに聞こえちゃうじゃん。
そうではありません、慌てて無理に思い通りにしようとすることをいさめているイメージです。
こういう哲学的なことは「言葉にすると、その一面しか表現できない、言葉の限界を考えながら受け取らないと誤解が生じます」。
思い通りにならないことを、受け入れる、ってことか。
それも含みますが、自分のやり方が必ずしも正しいのか?、という視点をもつことでもあります。
そう考えると「慌てる乞食はもらいが少ない」とも言えますね。
修行をして、自分の無意識に任せることが出来ればその方が望ましい結果を得られる、という様な意味もあります。
仏教の言葉は色々な意味があるのか。
ですから、ただ聞くのではなく自分で考えることが必要です。
「法爾(ほうに)」は、全てのものがあるべき状態になっている、「自然(じねん)」は、おのずからあるべき姿になっている、ということです。