今回は知者不博(ちしゃふはく)です。
本当の「道(みち:タオ)」を知るものは、博識ぶらない、ということです、「ちしゃひろからず」とも読みます。
知者は知者で博識ぶっても良いんじゃない?
そうすると、物知りと思われることが目的となり、相手を言い負かす内容の無い言葉ばかりが世の中にあふれてしまいますね。
ある意味、今がそうか。
そうかもしれません、人の喜びや生きがいは一通りではありません、しかし、「幸せ」になる、「幸せ」に向かうことが使命づけられているかのようですね。
「幸せ」は良くないの?目指さない方が良いの?
そもそも「幸せ」の内容が全員違うと思うんですよね、しかし、「幸せ」を目指して、毎日そうじゃないと不満を感じる人も出てきます、非日常的な大きな刺激を毎日求めるのは、やることが無いからとしか言えませんね。
なるほど、そういう考え方もあるのか。
お金自体が目的になってしまったり、すると満足しにくいのもありますね、何がしたくてお金が欲しいのか、を考えれば、お金以外の重要な要素も見えてきます。
お金を稼ぐことが至上で、それを人々に吹き込むことが人としてどのくらい意味のあることか考えれば「博識」を名乗る意味がどんなことか、を考えることにも似ているでしょう。
出典は「老子道徳経」世に言う「老子」でした。